自然のエネルギー。。。復興へのエネルギー!!

きよ葉

2011年03月27日 14:45



始めに
このたびの地震およびそれらを起因とした津波災害により被害を受けられましたみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。

節電の中、PCの電源を入れることもだいぶ躊躇しましたが、今のこの気持ちをどうしても残しておきたく、ボタンを押しました。

私は福島県いわき市生まれ。
実家は今もそこにあり、63歳になる母が一人で住んでいます。

3月11日午後2時46分
母の仕事中の出来事でした。
東京でも、生まれて初めてデスクの下に身を隠すくらいの揺れでした。

震源地は東北太平洋沖。。
何回、何十回、電話を掛けても繋がらない。。

きっと、いや、絶対大丈夫。

会社でもみんなが協力して電話を掛けてくれました。
何回、何十回。。。

結局、その日電話が繋がらず、会社から歩いて帰る途中で携帯の充電が無くなりました。

翌日も朝から電話。
繋がらない。。

やっとコールするようになったのはお昼過ぎ。
普段は絶対に出る母が、こんな日に限って出ない。。
絶対大丈夫!と思いながら、テレビの映像を見て、涙が止まらない。

そのとき、携帯が鳴った!!
地元の兄からの電話

「。。。よかったぁ」
なんとも言えない声が出ました。
その日、実家近くで仕事をしていた兄は真っ先に母の元に行って、安否確認できてるから、と。

友達の家は倒壊してしまいました。。

それから、15日間の断水、食料不足、そして燃料不足。。


しかし、当時は想像もしていなかったもっと恐ろしい事態がここから始まっていました。
見えないものへの恐怖。。。

原子力発電所

今や、「福島県いわき市」といえばそのイメージしか生まれないほど有名になってしまいました。

そのニュースは地震発生後日に日に住民への不安を落としていきました。
度重なる爆発、高濃度の放射能漏れ、そして、統一されない曖昧な情報。。。

「お母さん、東京に避難して来た方がいいよ」
「ありがとう、でも仕事休めないから。。。」

身内が亡くなっても休めないのが母の仕事。
これまでもそうでした。
一緒に住んでいた祖父母が亡くなったときも、父が亡くなったときも、仕事休めませんでした。。

でも。。。

日に日に事態は悪化して、何度も何度も電話して。。

地震から4日目の朝、
「もうどうしていいかわからない」
母は電話口で嗚咽を上げて泣きました。。
私も一緒に


今回の震災で、日本中の皆さんが考えさせられたように、私も自然のエネルギー、その中で生きる人間というものを改めて考えさせられました。

家族や友人、愛する人が、毎日温かいご飯が食べれて、温かいお風呂に入れて、温かい布団で眠れる、そして、連絡を取りたいと思った時に自由に連絡がとれることがどれだけ幸せなことか。

そして、私の身内を心配してくださり、温かい支援をしてくださる方が沢山いることの幸せ。
本当に支えられて生きてることを実感しました。心からお礼申し上げます。


今、地元は風評により壊滅状態です。
でも、その中で懸命に復興に向けて動いてる方が沢山居ます。
みんなの復興に向けるエネルギーを壊さないでください。
そのエネルギーをみんなでサポートしてください。
何をしたらよいかわからなくても、日頃の生活から協力できることは沢山あります。
被災者の方は自身で復興に向けて動き始めようとしています。
私は、私たちは、いざ助けを求められたときに、いつでも気持ちよく動ける状況を作っておこう、と。

一人一人が何ができるか考えること、それがきっと復興にむけての原点です。
その考えが集結したとき、より魅力ある国に変わっていく膨大なエネルギーになることを願って。